蜘蛛の糸

蜘蛛の糸」という作品をご存知だろうか。あまりにも有名な教養あふれるお話である。
著作権は無効になっているはずなのでググれば全文読むことができる。
一度おさらいしてみよう。
カンダタは極悪非道の悪党であった。ただ一度だけ気まぐれで蜘蛛を殺そうとしなかった。
そして健陀多は地獄へ直行。天国のお釈迦様は蜘蛛の糸をたらして健陀多を救おうとする。健陀多は喜んで上り始めるがかなり上ったところでしたから仲間が上ってくる。糸が切れてはたまらないと思い降りろと叫ぶ。すると健陀多の少し上のところが切れる。一同地獄へ。
自分だけ助かろうとしてんじゃねえよボケが。というありがたいお話。


このお話について考えてみる。ちなみに宗教観とか道徳観とか時代考証とかは専門家に任せておく。
天国の住人をいわゆる勝ち組、地獄の住人をいわゆる負け組とする。
一般人については別次元に住んでいるものとする。
この世は道徳観念ではなく物理法則に従うとする。前世については考えない。


こう仮定すると、蜘蛛の糸で天国へ行った人はいわゆる成金、IT成金と考えられる。
地獄にいる人は何とかして成金になりたい人々、この世のあまりの不条理さにまじめに働くのが馬鹿らしいと感じてしまった人々。
蜘蛛の糸は成功を収めるための方法論、糸は十分丈夫であるものとする。糸を上ることが方法論を実行することに当たる。
糸は自分で作り出すこともできるし、偉大な先人たちがたくさん作っていると考えることができる。
つまりわれわれはどうしたら成功を収められるのかが分からないので、糸を見つけ出すことが重要である。


ところで、天国の住人たちは上ってきたものには友好的であるが、地獄の住人のことはまるで無視している。
地獄の人に糸のありかを教えてあげたり、糸をたらしてみたりする人がいてもいいと思う。
もし、自分が天国の住人になれたらできる限り糸をたらしてみたいと思う。
ただ何とかなくそう考えただけ。