世界

fate をやっているといろいろと考えさせられることがある。
まず、その独特の世界観だ。 空間だの認識だの創意売った普段あまり考えないような話題が出てくる。
(致命的なネタバレは含まないと思われる。)


この作品に関わらず、最近のライトのベルの類では世界征服を否定するような話が多い。
世界征服なんていまどきはやらない。
「世界は自分の認識であるし、世界征服してしまえば自分が世界というシステムに組み込まれてしまう。」
という見解らしい。
確かに世界というのは自分の認識がすべてであるように感じる。
例えば夢を見ているときは夢の仲のでたらめな世界がすべてだ。
自分の頭の中の空想の世界、パソコンを通して見るインターネットという世界、ゲームやテレビの中の世界。
これらに接しているときは特に自分がいる世界というものを忘れてしまいがちだ。
要するに目の前のものに熱中しているという状態。無論現実世界に対する反応は鈍くなる。
つまり自分は今いるこの世界ともうひとつ以上の世界を同時に感知する必要があるのではないか。

正義の味方

というキーワードがでてくる。
一人も犠牲にしないというもの。


しかし、そんなもの実勢には無理なのは常識のある人ならばわかる。
でも自分たちは結構似た様な矛盾を持っているのではないか。
例えば、怖いのが嫌いだから幽霊とか音量とかには関わりたくないものだ。
しかし、全く知らなければ絶対に幽霊と関わらなくていいという保障は無い。


人は誰も死にたくは無いと思うものだ。
しかし、確実に人は死ぬわけで、死にたくなかったらそれなりの訓練を必要とする。
実際に刃物で襲われそうになったときに冷静に対処するためには、実際にやって見ないとわからない。
車に轢かれる、拳銃で襲撃される、ケンカに巻き込まれる。
いずれもきちんとした訓練さえすれば十分対応可能である。
いや、知識を持っているだけでもかなりの差がつく。
だというのにわれわれは死にたく無いと思っていながらもあまりにも無防備では無いだろうか。
特に災害時は確実にパニックになるものであるし、一度くらいそういうのを経験しておかなければ死ぬかもしれないというのに、防災訓練の何と穏やかなことか。